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BIOGRAPHY

YUKI画像

YUKI

YUKI(ユキ、1972年2月17日 - )は、日本の女性歌手。元JUDY AND MARYのボーカル。北海道函館市出身。血液型はA型。本名は倉持有希(くらもち ゆき)、旧姓、磯谷(いそや)。

1993年、JUDY AND MARYのヴォーカリストとしてデビュー。数々の大ヒット曲を生み出し、並行して伝説のライブパフォーマンスを残す、言わずと知れたモンスターバンドとなる。
1999年、活動休止中にThe B-52'sのKate PiersonとNiNaを結成し、ヴォーカリストとして参加。
2001年、後に語り継がれることとなる東京ドームでの2日間のライブを最後に、惜しまれながらJUDY AND MARYを解散。そして女性5人バンド、Mean Machineを結成。ここではドラムプレイヤーとして参加することによって、音楽活動の幅を広げた。
2002年2月、満を持して『the end of shite』でソロ活動を開始。先鋭的なサウンドや前衛的なビジュアルで独自の世界観を確立し、『PRISMIC』『commune』の2枚のアルバムをリリース。
2005年2月にリリースした3rdアルバム『joy』ではオリコンウィークリーチャートで1位を獲得。同年、ソロとしては全て初となる、全国ホールツアー、日本武道館公演、全国ライブハウスツアーをどの会場も超満員にし、大成功のままに締めくくった。
2006年9月、約1年半ぶりとなる4thアルバム『Wave』をリリースし、前作に続きオリコンウィークリーチャートで1位を獲得。同月、ラフォーレ原宿にてYUKIのアートワークを身近で感じることのできる『WaveRoom』を開催。
ソロ活動5周年を迎えた2007年にはソロ初となるシングルコレクション『five-star』をリリースし、記念ライブ『YUKI LIVE 5-star』を行っている。



HISTORY

1991年6月、ヘヴィメタルバンド「JACKS`N`JOKER」のメンバーとしてメジャーデビューしていた恩田が、映画『いつかギラギラする日』の撮影で北海道を訪れた際、エキストラとして参加していた当時短大生のYUKIと知り合う。映画スタッフ達との飲み会の場で、YUKIが「バンドをやりたいけどどうすればいいのかわからない」と恩田に相談した事がきっかけで、その後YUKIにデモテープを送ってもらった恩田がそれを聴いたところ歌声を気に入りボーカルに抜擢、1992年2月、YUKI、恩田、藤本泰司を中心に結成。同年4月、インディーズレーベルよりアルバム『BE AMBITIOUS』を発表。11月、サポートメンバーだった五十嵐公太が正式に加入。この頃はメインのバンドを持つ恩田のサイド・ソロ・プロジェクトに近く、メンバー全員そのつもりでおり、このバンドでのデビューは目指していなかった。その為、制作やliveの費用は全て恩田が負担し、メンバーにはギャラを支払っていた。恩田も「YUKIちゃんもこのアルバムを名刺代わりに(業界入り)出来れば」と話していた。この時点では一回限りのつもりであり、アルバム発表・live後は既に解散状態になっていた。 しかし、恩田はこのバンドへの熱意が解散後に強く湧き上がってきたため、再始動を決意。当時フリーの状態であったYUKIには予め伝え、他のメンバーにはその事を告げず、先にデビューの段取りを行い、JACKS'N'JOKERの脱退〜デビュー契約など全てが整った時点で再始動を伝え、同意を求めた。五十嵐はこれに同意したものの、藤本は既にソロアルバムをバンドで作る構想があったため、JUDY AND MARYでのデビューは辞退せざるを得ず、脱退。

1993年2月、前述の理由でメジャーデビューを辞退した藤本泰司に代わる形でオーディションによりTAKUYAが加入。同年9月にエピックソニーよりシングル『POWER OF LOVE』でメジャーデビュー。

1994年1月、アルバム『J・A・M』発表。12月、佐久間正英プロデュースによるアルバム『ORANGE SUNSHINE』を発表。オリコンチャート初登場5位を記録し。同アルバムを引っ提げて行なわれたツアー『ORANGE SUNSHINE TOUR 』では初の渋谷公会堂公演を行なう。この頃、公式ファンクラブ「JAMP」が発足。

1995年5月、初の日比谷野外音楽堂公演を含む『JUST A MAMBO TOUR』開催。6月に発売されたシングル『Over Drive』がオリコンチャート初登場こそ4位だったものの60万枚以上を売上げるヒットを記録。12月には前作と同じく佐久間プロデュースのアルバム『MIRACLE DIVING』を発表。このアルバムも100万枚に迫る売上げを記録した。

1996年、全国ツアー「MIRACLE NIGHT DIVING TOUR 1996」を開催。初の日本武道館、大阪城ホール公演を含む全国19都市23公演を行い、日本武道館公演では2日間に渡り開催。即日完売、満員を記録。2月、シングル『そばかす』がオリコンチャート初登場1位を獲得、100万枚の売上を記録した。この年、同曲で「第47回NHK紅白歌合戦」に初出場した。

1997年3月、アルバム『THE POWER SOURCE』を発表。オリコンチャート初登場1位を獲得し300万枚に迫る売り上げで、バンド史上最高セールスを記録した。初の国立代々木競技場第一体育館公演にして2日間公演、大阪城ホール2日間を含む全国ツアー「THE POWER SAUCE DELIVERY '97」を開催し、各地で即日完売となる。8月には横浜スタジアム、阪神甲子園球場を含む、初の野外スタジアムコンサートツアー「THE POWER STADIUM DESTROY '97」を開催。同年、YUKIの喉の不調のため一時活動休止。

1998年6月、アルバム『POP LIFE』を発表、100万枚以上を売り上げる。7月より初の全国アリーナツアー『POP LIFE TOUR '98』を開催。12月26日には初の東京ドーム公演『POP LIFE IN TOKYO DOME』を開催。2日後にオールスタンディングのシークレットライブ『Secret Live In The Garden Hall』を恵比寿ザ・ガーデンホールにて開催。『散歩道』で「第49回NHK紅白歌合戦」に2年ぶり、2度目の出場。以降、充電期間に入る。

1999年は初のライブアルバムとライブビデオ2本をリリースした以外はJUDY AND MARYとしての表立った活動は無かった。各メンバーはソロや別ユニットで活動。

約1年間の休止の後、2000年2月、シングル『Brand New Wave Upper Ground』をリリースし、活動再開。3月には初のベストアルバム『FRESH』を発表、200万枚以上を売り上げる。以降も積極的にシングルをリリースし、夏にはイベントライブにも出演。9月、YUKIが結婚を発表。11月に初のアコースティックライブ『ブエナ・ビータローカ・ソシアル・クラブバンドwithジュディ・アンド・マリー2000』をZEPP TOKYOにて開催するなど、精力的に活動。12月、翌年2001年1月にシングル、2月にはアルバムの発売を発表する。

2001年1月9日に全国紙朝刊の全面広告で解散を発表。同24日にオリジナルとしてはラストシングルとなる『ラッキープール』をリリース。2月にワタナベノブタカとの共同プロデュースによる2年8ヶ月ぶりにして最後のオリジナルアルバム『WARP』が発表された。アルバム発売日より同アルバムを引提げたラストライブツアー『WARP TOUR』をZepp Sapporoより開催し、各地のアリーナ会場・ドーム会場を廻り、3月7日、8日の東京ドーム2Daysライブをもって解散。翌日9日に『WARP』収録曲の『PEACE』にストリングスアレンジを加えた『PEACE -strings version-』を限定生産シングルとして発売。 同年5月、ファン投票をもとに選曲された2枚組みベストアルバム『The Great Escape -COMPLETE BEST-』を発売し100万枚に迫るセールスを記録。また同月に『WARP TOUR』東京ドーム公演の模様を納めたDVDを発売。6月、最後の新録PVを納めたDVD『PEACE』をリリース。これは、2007年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞の河瀬直美監督により撮影されたものである。

2001年の解散より5年後の2006年2月、2000年にリリースしたベストアルバム『FRESH』に同年から解散までの間にリリースしたシングル楽曲4曲を追加し、ロンドンでメンバーのTAKUYA立会いの下リマスタリングを施し、追加楽曲4曲のPVを収録したDVDを同梱したリニューアル盤『COMPLETE BEST ALBUM「FRESH」』を発売。オリコンチャート初登場2位を獲得し30万枚以上を売り上げた。 『COMPLETE BEST ALBUM「FRESH」COMPLETE BEST ALBUM「FRESH」』発売時にはオフィシャルサイト等においてメンバー4人のコメントが発表されるなどしたが、解散以降に4人揃ってメディアに登場した事は現時点では無い。

2009年3月、デビュー15周年を記念したトリビュートアルバム「JUDY AND MARY 15th Anniversary Tribute Album」がリリース。

『復活・再結成して欲しいバンド』と銘打っているようなアンケートやランキングの類では現在でも必ずといって良いほど上位に入るなど、当時JUDY AND MARYを支持した世代からは今なお根強い人気を保っており、CD不況に陥って久しい昨今の音楽産業にとっても再結成・懐古にまつわるビジネスは大きな収益源となっているため、再結成への根強い待望論がある。一方で、元々プロのミュージシャンが集まって作ったバンドで、メンバーにビジネスライクな一面があったことや、解散当時に流れたメンバー同士の不仲説といった人間関係の事情、メンバー中でも特に解散後にソロで成功したYUKIにとっては当時よりも音楽業界内部でのステータスが上がっている現在わざわざ再結成するメリットが無いことなどから、不仲説のあったメンバー同士がステージで共演するようになった現在でも、JUDY AND MARY自体の再結成の可能性については否定的な見方が音楽業界では非常に根強い。



MEMBER

TAKUYA画像

TAKUYA

TAKUYA(タクヤ、1971年9月9日 - )は、京都府京都市出身の日本のギタリスト、ミュージシャン、音楽プロデューサー。 本名は、浅沼 拓也(あさぬま たくや)。血液型はO型。ユニバーサルミュージック所属。 現在はインディーズ活動と並行し、主に高橋瞳に楽曲提供を行っている。 元JUDY AND MARYのギタリスト。現在はソロ活動やプロデュース活動を行っており、 スポーティーなイメージのギタリストで、そのギタープレイは独創性溢れるものである。ギタープレイでは激しいカッティングやアルペジオを駆使し、ヴォーカルの裏側であっても変則的に動き回るトリッキーかつメロディアスなフレージングが特徴的である。またジャキジャキとエッジの聞いたシャープな音色を多く用いる。 京都市でも舞妓や芸妓の居る地区で育っており、「KYOTO」「イロドリノセカイ」「HOTARU」など、程よい色気がある女性的な曲がTAKUYAらしい特徴の一つ




恩ちゃん画像

恩田快人

恩田 快人(おんだ よしひと、1963年12月13日 - )は、兵庫県神戸市出身のベーシスト、音楽プロデューサー。血液型はA型。愛称は「RADY」「おんちゃん」。 神戸市立六甲アイランド高等学校卒業。神戸学院大学経済学部中退。 小学校1年でエレクトーンを始め、中学2年でギターに転向。左利きであるが、ベースと箸は右手で使う。 JUDY AND MARY解散後はWhiteberryのプロデュースや、他のアーティストへの楽曲提供なども行なっている。 2007年、加納秀人と共にATOMIC POODLE結成。2008年、1stミニアルバム「ATOMIC POODLE」でデビュー。収録曲の作詞作曲を担当した「SUPER NICE DAYS」では、ボーカリストデビューも果たしている。 同年5月30日、セルフプロデュースのドラム/セッションDVD「ONE*NESS」発売。撮影期間1年半。TAKUYAとの共演や、26人のドラマーとの対談の収録がされている。 2008年、辻仁成・伊藤浩樹、五十嵐 公太と共にZAMZAN'BANSHEE結成。



公太さん画像

五十嵐 公太

五十嵐 公太(いがらし こうた、1963年1月17日 - )は、神奈川県川崎市出身のドラマー。父は弁護士。桐蔭学園高等学校、武蔵大学社会学部卒業。血液型はO型。元UDY AND MARY、T.V.のメンバー。LOVE LOVE ALL STARSにも参加。スタジオ・ミュージシャンとして活動。 T.V.のミニアルバム「Topping Voice」で2代目ドラマーとしてデビュー。アルバム「NEW DAYS」(TV-WILIDINGS名義)には「CRY MY HEART」を楽曲提供。 1989年にTV-WILDINGS解散後、1990年より山羊智詞&赤羽楽団に参加。その後恩田快人に賛同してJUDY AND MARYに参加。彼等の代表曲の一つである「散歩道」を単独で作曲している。また、2ndアルバム「MIRACLE DIVING」にも「Little Miss Highway」 「Oh! Can not Angel!」の2曲が、ラストアルバム「WARP」には「あたしをみつけて」が収録されている。 JAM解散後はレコーディングやツアーサポートを務めるスタジオ・ミュージシャンとして活動。